子供だけが許されることがある

 それは
 「なんでも質問すること」
 である

 特に
 「人に対して本人のことを聞くこと」
 である

 子供の場合は無関心ではない
 想像力が無い
 その分、言われたことをそのまま信じてしまう

 だから親が嘘を言えばそのまま信じてしまう

 対等な立場の他人と言う存在が現れた時

 つまり、子供一人の生きる道が始まった時から、それはしてはいけない

 気をつけなくてはならない

 人に対して「この人なんでこれこれなのだろう」と思っても聞いてはいけない

 失礼だからだ

 傷つくかもしれない

 聞かれたくないことかもしれない

 そして聞いてしまうと相手は警戒する

 それは意識して注意することである

 本人のことは、思うことも、事情も、やたら聞かないものである

 本人が話したいなら話す

 勝手に話す

 もし自分の質問が答えたくない、聞かれたくないことであれば、確実に相手の心情を悪くする

 大変な博打なので、しない方がいい

 人は話したいことは話したい人に勝手に話す

 幼児は想像力がない

 脳の発達がまだそこまで進んでいない

 空想を作る力はあるが、それは自己中心的な世界である

 こうだったらいいな

 を作る力はすごい

 偏見がないからだ

 だが、現実を想像する力はまだ無い

 経験もない

 ある子は、大人にお菓子をすすめたら断られた

 それに傷ついた

 お菓子はもらえるなら絶対に食べたいものだからだ

 子供にとっては、その価値観しかない

 だから「今はいいよ、君が食べな」と言われて傷ついた

 「せっかくあげようと思ったのに」と傷ついた

 そのくらい、子供は想像できないことなのだ

 幼児期のトラウマというやつである
 別に嫌なことが起きたわけではない

 それでも子供は傷つくのだ

 いけないことをしたのかな、と不安になるのだ


 子供には、自分の世界しかない

 その時期に、幼児にやたら質問してはいけない

 言葉でやたら聞いて、言葉だけで説明させようとしてはいけない

 子供はパニックになる

 まだ言葉の意味もわからない

 大人になっても、自分が使っている言葉の意味を自分で説明できない人は沢山いる

 それなのに、子供に聞いても答えられない

 自分でもまだ言葉がわからないのに、説明などできない

 言葉を覚えたら大人のように話せるわけではない

 大人のように答えさせようとすると、親が嫌な態度を取らないことを並べるようになる

 思ってもいないことをスラスラと言い、平気で人に質問するような人になる

 その質問が「失礼だ」とすら思わずに、人に平気で質問するようになる


 他人は失礼だと思っても、まず怒らない

 日本人は特に、不愉快でも怒らない

 平気な顔をしている

 自分で気づくしかないのだ


 だが、何を言ったら失礼か区別するのが難しいならば、もう決めた方が早い

 「本人のことを本人に聞かない。他人にも聞かない。本人が向こうから話したいならば聞く。」


 これはもう、マナーの世界だ

 他で別の人に聞くにしても、噂話にしても、相手と自分の信頼関係が余程堅固でない限り、必ずどこかから漏れていくと思った方がいい

 その話が漏れても、決して問題にならないことなら良いが

 そうでないならば、そこから発生する問題が後に自分に戻ってくることを考えて発言しなくてはならない

 そこまで考えるのが面倒ならば、人のうわさ話をしないことである


 本人のことは本人が言いたいなら言う

 自分のことを説明「させられる」のは、いい気分のするものではない

 ましてそれが「信用できるように説明しろ」という尋問であれば、脅しである


 想像がついた方はもうおわかりだろう


 人は質問するほどに、本当のことを言わなくなる

 自己開示を強要すると、自己呈示をしてくる

 質問してくる人は警戒される

 だから知りたいことを本人に聞くものではない

 幼稚園児ではない

 お互いになんでも見せびらかしたい年ではない


 どちらかと言うと、質問された時の方がどう対処したらいいのかわからないだろう

 質問にもよるが、そんな時のための答えは考えておいた方がいい

 しつこい人もいる

 想像力がない

 これは「コミュニケーションの手抜き」である

 子供に無関心な親は、子供に自分自身のことを報告させる

 子供に関心のある親は、様子を見ていてそのうち気づく


 自分と他人の区別がつかない人の中には、自分が話したのだから相手も話すべきだ、とプライバシーを平気で侵害する人もいる

 プライバシーの侵害には、当然相手の個人的事情も入る

 相手から話したいと思わない限り、聞かせてもらえないものである


 また、人の個人的な事情を知ると「仲良しになった」と勘違いする人がいる

 人の事情をやたら聞きたがる「事情通」のような人がいる

 あの人のこともこの人のことも、奥さん仲間の中で事情通になる

 それを「自分は仲のいい人が沢山いる」と勘違いする

 人のうわさ話ばかりしている、信用ならない口の軽い人である

 口の堅い人は、人の話をやたら聞きだそうとしない


 ある先生は、口が堅いということは女にとって最高のブランドだと言う

 僕も同感だ

 口が堅い女は、それだけでどんな美人より価値がある

 口が堅いとは、やたら黙っている女というわけではない


 逆に口が軽い女は、どんなに優れた何かがあってもいい女にはなれない

 沢山話すことと、お喋りは別である

 他人の噂をしなくても楽しい会話ができる人はいるが、他人の噂をしないと話もできない人もいる


 一緒にいる時に、他人の話をしないことが一度もない、というくらい、人の話しかしない人もいる

 これが最低の女である

 他人の話、と聞いて誤解する人もいるかもしれないが、他人の話とは

 「今の話題に関係ない、自分の周りに登場した人の話をネタにしている」

 ということである


 大人になっても、「全くその人を知らない人の前で」個人の名を出す人がいる

 そこまでの人はなかなかいない

 本当に幼児的な話し方をするのだ


 これは、矯正していくものである


 大人になったら、友人が、同僚が、など、相手にわからないことを話さないものである


 相手に通じる話し方ができない

 自分はわかるが、目の前の人と共通の話ができない


 それが「想像力が発達していない」ということである


 言語を言語として使えていない

 幼児は幼稚園のお友達のことを名前で話してくる

 聞いている方は知らない

 だが、ナルシストである幼児は「自分しか知らないこと」が好きだ

 人が知らないことを、わざと話す

 「誰それ?」と聞かれたい

 自分の知っていることを人に教えるのが好きなのだ


 そして「知らない」ということが嫌い

 「知らない」「わからない」が嫌い

 なんでも知っていて、なんでもわかる!

 それが幼児だ


 やたら質問され言葉で説明させられ、わからない、知らない、できないことを責め続ければ、そうした大人になる


 とにかく、なぜそうなったかはもう過ぎたことなのでいいが、本人のことを本人に聞かないという当たり前のマナーを守るのだ

 マナーが先

 それを守れば、自ずと想像するしかなくなる

 ・本人に本人のことを説明させない

 ・相手が知らない固有名詞を当たり前のように使わない

 ・そこにいない他人の個人情報を話さない


 これらを守るのだ

 これはコミュニケーションのマナーである

 個人が特定できる話をするときは、相手の印象が悪くなる話は決してしない

 聞いて欲しいことがあっても、個人が誰か特定できるような話をしない

 それでは、個人情報を勝手に喋っていることになる


 心理的犯罪である


 というわけで、気をつけて欲しい

 この禁を破って許されるのは、親兄弟くらいなのだ

 他人を相手にしたらそうはいかないので、確実に守って欲しい