Refresher's Blog

人間性心理・教育を研究する最上雄基のブログ。モラハラ、毒親、アダルトチルドレン、社会や歴史を含め広い視野で原因を知っていく。ホームページ Refresherぷらす https://www.refresherblue.com/

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知能が高い人ほど馬鹿にされると言うお話


 有料会員向け動画より

 ギフテッドと呼ばれる人、特に知能が高く生まれついた残念な人達の残念な人生について

 どう対処して何を諦めればいいのかなどについて話した動画から冒頭の15分程度をお送りします

 僕と同じように、殆どの人ははぐれギフテッドとして生き辛い人生を送っていることと思います

 自分の知能が人一倍高いなんて、知らないかもう忘れているかという人が殆どかもしれません

 僕もそうでしたから

 自分だけおかしいという扱いをされるのが天才児の常ですからね

 本当に、最初から生き地獄で嫌になりますね

 そんな人たちのために、はぐれギフテッド向けに話をしたいなと最近思いました

 僕も子供の頃からなのですっかり慣れていますが、どうしても「手加減して話す」という癖がついています
 考えている範囲が違うから、何を言っても全部違う意味に聞こえてしまうということは、散々体験して知っています

 諦めてくだらない話、趣味の話など、浅い話だけしていれば楽しく会話していけますよ

 それはそれで楽しい時間ではあります

 ただ、真剣に考えていることを話したい、意見交換したい、など、誰かと会話したい時は相手がいなくて困りますよね

 僕たちは生まれた時点で最低な人生が約束されているようなものですから、孤独との戦いを乗り越えながら、たった一人で誰にも思うことが言えなくても「それでも生きていて嬉しい」と思える人生になるように、与えられた力を使って頑張っていくしかないです

 僕も小学生の頃に先生にも話が通じないと思っていたので、最初に諦めてしまっていました

 自分の考えていることを他人に話して、更には理解してもらおうなんて考えないのが一番です

 どうせ何を言っても意味なんて理解されないですから

 頑張るだけ無駄

 なので、自分で自分の話を聞き、ブッダやアインシュタインのような人たちを友達にして会話をし、「仲間が大勢いる多数派のみんな」を遠目に見ながら生きていくしかないです

 僕たちはマイノリティです

 がっかりなことに人類中2%です

 それは間違いないことで、僕たちの場合は知能が高いので逆に知らないものを怖いと思わず知ろうとしますが、大抵の人は「怖いので悪いものにして安心する」のです

 自分たちと違う発想でも、それはそれで違いとして受け入れていくしかないです

 そうなものはそうなのですから

 この孤独に堪え続けていけば、いつか「自分の言っている意味が分かる人」に出会えます

 その時のために、自分の存在に関心を持ってくれる人に出会った時のために、普段から「自分の意見を持てるよう、あらゆることについて考えるのです

 普段から考えて自分なりの答えを出しておくこと

 そうしないと「あなたが知りたい」という人に出会っても、「そんなこと誰でも知ってる普通のことでしょ」と思われるような真似事の意見を言わねばならなくなりますよ

 世間的に良いとされることを羅列していれば「自分を知られたくないんだ」とバレてしまいますよ

 自分を知ってもらいたいならば、勿論「自分の意見」を常に考えておくことです

 ネタを生み出すのではありません

 自分自身の真実を常に突きつめて、自分をよく知っておくのです


 ちなみに、僕が今わかっている限りでは、ギフテッドと呼ばれる人たちは(知能指数が高いだけの人ではない)恐らく感覚機能がものすごく高いようです

 それも、各自バラバラに違う特性を持っていて、誰がどうとか、カテゴリで分けるとか、そんな真似ができないほど「何か」なのです

 最近、「色々な虫の能力」について知り、これだ、と思いました

 わかる人は「気」とか「波動」とか呼んでいるようですが、そんな感じのものとか、感覚でわかることがありますね

 全員同じではないんですよ

 本当に動物の違いのように

 何かを目指し、先に知った何かを真似している人はどんどん持って生まれたものを失っていくのです

















 

津軽弁はフランス語に似ているという羨ましい話は本当なのか、工藤さん

 人の違いが面白い、違いを知るほど好きになる。

 人の違いを知りたい僕にはとっても興味深い話がありました。

 「津軽弁Youtuber」なる方がいました。

 津軽弁がフランス語に聞こえます。こうして聞いていると、なんて軽やかな方言なのでしょうか。羨ましいですね。


 

 更に、コメント欄で知りましたが、青森に「工藤さん」は多いそうです。知りませんでした。

 この方の他の動画でも「工藤さん」は登場してきます。

 津軽弁を聞いて「なんだかわからない」と思った人もいると思いますが、これだけ違う言語をベースに共通語で会話をするのが我々日本人なのだと理解し、その違いの大きさについても知って行きましょう。

 自分と同じではありません。

 自分の使う言語をベースに、よその言語について印象を持つのです。

 自分の話し方は地元ではなんともなくとも、他の地域の人には攻撃的、冷たい、という印象を持たれるかもしれません。

 人間性とは関係なく、表現の違いによってなんとなく人のイメージを作ってしまうものです。無意識にやっているので自覚すらありません。

 それが自分なのだ、それが人間なのだと自覚し、人とのやり取りにおいてもやたら簡単に決めつけることなく、よく理解していく姿勢を持っていきましょう。

 相手が個人的に気に入らないと、意識的に人に冷たくする人もいます。面白くない気分だから相手を傷つける、バカにする。そしていい気分になる。
 それは単純に性格が悪いだけです。

 それとは関係なく、このようにそれぞれの違いがありますから、僕たちは浅はかで愚かな人にならないよう努めていきましょう。











 
 

今年も一年ありがとうございました

 もう年の瀬になり、明日は大晦日ですね。

 今年も一年、どうもありがとうございました。


 色々と生きていれば辛いことがありますが、未来に向かって進んでいると実感できる一年でもありました。

 僕が今までやってきた方法が、確実に意味があると裏付けてくれる新しい学問が生まれていたことが、最近では一番うれしいことでした。

 自分では確信もあるしわかっていても、他人は理解などしてくれないです。

 既に誰かがやったことを復唱するように繰り返し、他人の人生のやり直しをしたい人が多いですから。

 しかし、部屋の構造を変えたり、自然と一体化する鍛錬をさせたり、それらはやはり効果ある方法でした。まだ方法は編み出されていませんが、僕はいちいち他人に決められた人生を送りたくないので、自分で考えて実行しています。

 いつものことですが、後からでもこうして間違いないことが証明されると嬉しいです。

 誰も信じないんですよ。子供のころからこうだった、と言っても、天才だなどと言っても信じないです。
 誰かに判断してもらわないと、あの人がどんな人か、今何が起きているのか、言葉で聞かないとわからない人ばかりですから。

 僕は今体験して、今それを感じる認知能力があります。なので自分では確信しています。

 結果が出てから「信じる」なんて言いだす人たちが、いかに何も信じることなく感動もせずに生きていくことか。


 そしてワークショップ、ありがとうございました。

 あの後で異国に生まれてきた学問を知りましたが、あの時やっていたことは確実に意味があります。

 皆さん安心してください(笑)

 いつも通り、世界最速で実行していきます。

 うちの天才画伯のこもりんちゃんもいましたが、いい感じでした。

 それです。その感じです。今、集中し、真剣に行う能力も誰もが持っているわけではありません。

 本当にどうもありがとうございました。


 加藤諦三先生の話も、黙っていましたが遂にしました。

 ここが潮時のようですね。


 彼と共に進み、『犬だけが友達』的な生活になっていく人たちがいないか心配ですが、僕についてきてくれた人たちは、僕が間違いを認めて覆していきますから大丈夫です。

 必ず僕は敵対せずに反対方向にでも進みます。

 今までやってきたことが間違いだった、と気づいた時、または発覚した時、それまで人をバカにしてきた人はとても認めづらくなります。
 ですから、常に人をバカにしないよう、見下して雑に扱わないよう気を付けましょう。

 世間で正しいとされていることが、間違いであることはよくあります。

 いちいち覆るたびに慌てて何かを庇ったり人を罵ったりする必要がないよう、もしそんな事態になった人は一度みっともない姿を自分に晒して、諦めてください。

 「人を蔑ろにするとろくなことがない」と知るいいきっかけになるでしょう。

 どんな人であっても、あらゆる人をバカにし見下してはなりません。

 心穏やかに生きるためには、それが一番です。


 僕は加藤諦三先生が亡くなるまでは別の仕事でもするか、辞めるかと思っていました。

 見ればわかることでもありますし、本人の自由な行動に水を差す真似はしたくないですから。

 日本の父親たちが、彼のようにパワハラモラハラみたいな人の下で働き続けているならば、不安で不安でたまらない中、馬車馬のように働き家で正義を振りかざすのも理解はできます。

 道理ですから、そうなるでしょうね。

 御止めできなかったことが僕の不甲斐なさであり、実力不足です。


 僕のモットーは「誰も一人にしない」です。

 誰も迫害されない、仲間外れが生まれない輪を作ることが僕の目的です。

 「悪者」という存在を生み出す人は必ず支配をします。それは僕の望むところではありません。

 正義という名の悪になることなく、人間としてみな等しく尊重される世界を「心の中に」作っていく方法を教えるため、今後も活動したいと思います。


 今年もいろいろありましたが、本当に皆さんありがとうございました。

 皆さんも、もしやり残しがあるならば、言い残しや心残りがあるならば、今年のうちにやってしまいましょう。

 後ろ暗さを残すことないよう、本当に自分自身が人に伝えなくてはならないことは、相手が生きているうちに伝えておきましょう。

 悪しき因果を来年紡ぐことのないよう、すっきりした心を持って次へお進みください。


 では、皆さん、良いお年を。



心理療法・教育研究家 

 氏子当主 最上 雄基

 













 

 
  

天から使いが来た

 先日、天からお使いの人がきた。

 随分前に僕に助けてもらったとのことだが、生憎いつもやっていることなので覚えていなかった。

 しかし、何をしても、寧ろ相手の要求に合わせてやることが多いほど恨まれることが多いのに、ちょっとしたことに感謝してわざわざその意を伝えに来てくれる人もなかなかいない。

 丁度、加藤諦三先生のことなどもあり、自分自身がものすごくつらい状況であった時期の話だった。

 何をしても無駄、という気がしてきて、講座もやらなくなったし、言いたいことも言えないからこの仕事をやめて別のことをしようかとも思った。

 あまりにも、「偉い人」と「みんなと同じ」がいい人が多すぎて、新しい何をやろうとしても「テンプレート」の形になっていて「誰もがもらえる」にならないと必要とされることさえない。

 「誰もがもらえる」になっている必要があるのは、「みんな知ってる」である必要もあるからで、「優劣がつけられるから」であるのは言うまでもない。


 天からのお使いがきたので、今度は逆に僕が救われた。

 僕のしたことが助けになったというその時期からでも、僕に対して好意的であったかのように見せていた人々は間違いなく今頃恨んで罵っているだろう。

 恨み言を言いながら、要求に応えないことが気に入らずに消えた相手、要求に応えられないことを告げて恨まれながら離れた場合、そのどちらかだ。


 だから、珍しいこともあるものだと思った。

 プライベートを削った一部でしかないことばかりだが、僕に感謝している人間も存在はしていたのかと驚いた。

 どこかでなんらかの効果は出ていたらしい。

 おかげで、天から来たお使いの人は覚えた。

 いつも似たような、小さなことをしていても、今回のように僕の方から見て「いいことがあった」と思えるようなことは滅多にない。

 できることがあれば僕は自分の自由を削って何かをすることはあるが、全員にできないほど何かをしても、恨まれることの方が多い。

 どちらかと言うと、気づかれない小さなことをしている方がいい。

 僕はもともと、「自分がやりました」という形になどならなくてもいいので、目的が達成されているならばそれが一番だ。


 天からのお使いがきて、何があったかは知らないが、とにかく僕は胸を打たれた。

 自分がやっていることに自信はあるのだが、それが必要とされる自信はない。


 ただ、僕自身は「これで正しい」と確信できることをやっている。


 そして、前回のワークショップ参加者もだが、ずっと僕が教えることを聞いてくれている人たちには朗報と言えることがあった。

 僕は自分の体感で何かを確認して、頭の中で理論を構築して、実践している。

 そしてその内容はやはり正しいと確信した。

 最近、英ガーディアンに載っていた「新ジャンル」の研究。新しい学術分野が生まれていたわけだが、根本としているものは僕の考えと一致している。

 僕はそこを軸に、療法を編み出そうとしている。

 しかし、ほとんどの人が求める「良いもの、正しいもの」を生み出すには、実際に効果ある方法を生み出せばいいわけではない。

 学歴や肩書もだが、組織力や金、更にコネなど様々なものが必要になる。

 なにせ「全員に配れる正しい」なのだから、皆さんが「みんなに正しいと断言して配るもの」を生み出すことを想像してみれば、どのくらい難易度が高く、そしてレベルを下げなくてはならないかはわかるだろう。

 そして貴重なものは、全員に配られる日は来ない。

 多くの人が、自分が特別な存在でもないのに特別なものをもらえると思っている。

 「自分は本当は特別な存在だ」と思っているからだ。

 僕は「あなたは特別な人!」という扱いは寧ろ怪しいと思っってしまう。僕は特別ではないからだ。

 だから、今回天からお使いがきたような出来事は、普通にうれしいと思える。

 根拠があるからだ。

 僕自身は、僕が作る流れの中にいれば自然の流れに乗せられる自信がある。

 だがほとんどの人は不自然な流れに乗りたがるし、何より社会的保証が欲しい。

 社会で「正しい」と言われていることに安心する。それだけ存在が小さいのだ。


 いつものことだが、今回は僕もありがたいと思えた。

 自分が言っている内容が、後で正しいとわかることが子供のころからよくあった、と今まで話してきたが、今もこの通りだ。

 細かいことは、また会員向けの動画ででも話そう。

 今回、英ガーディアンに載っていた記事を見て、確信できた。よかった。

 どうせ世間で名のあるものになって回ってくるまでには時間がかかる。何十年とかかる。

 そんなものを待っていられるほど、金持ちではない。

 存在しているとわかった時から「得るために頑張る」のが庶民だ。

 その時には、少なくとも僕たちは老人になっているか、死んでいるだろう。

 もう40代なのだから。そこまで待っていられないし、自分が認めてもらうなど無理なことをするつもりもない。

 僕はもともと、母を治してやるために研究を始めた。

 だから身内だけ助けられればいい。

 とはいえ、我が子ならまだしも、他人は名前があるものを選ぶだろう。

 僕は体感で確認できるから、自分で選べる。

 結局ほとんどの人が名前で安心するために頑張っているだけなのだが、そんな真似をしたい理由は、既に感覚機能が失われているからなのだ。

 その機能を回復させるための「訓練」をしているのだが、間違いなく意味はあると今回確信した。


 日本ではまだ聞くこともないが、金と組織力がある人たちが、他所の国で実験して数値にまで出してくれている。

 大規模な確認などは向こうでやってくれればいい。

 一個人にできることなど、大したことではないのだ。

 小さくても人知れずでも、それが本当に意味があって今必要であって、結果うまくいけばそれでいいと僕は思っている。


 それにしても、うちの娘でも記事を見せて多少なりと驚いたので、ほとんどの人には「天才だから」言っていても実際には僕の説明など心底は信じられないことなのだろう。

 結局説明したところでほとんどの人は「自分が体験している自分に可能なこと」しか起きていないと思っているものだ。

 口ではなんとでも言うが、本音では信用しない。


 だからこそ、『自分が全て』と言っても過言ではないだろう。

 



















 
 
 

もう無理だ、と判断するしかなくなった本

 加藤諦三先生が、新刊を出した。

 先月末発行の最新刊なのだが、この本を読んで僕は「もう無理だ」判断した。


 内容に、僕が教えることと正反対のことが書いてある。

 僕が「やるな」と教えている方法を、「こうしなさい」と教えている。

 結局、いつかこうしてはっきり違う部分は出てくるだろうと思っていたが、相手によって違うことを言っていられるのももう終わりだなと思った。

 僕は最初から加藤諦三先生は全く変わっていないのだと分かっている。

 最初は驚いたし、まさか、と思うから何かほかに理由があるのだと信じようとしていたが、そんなことはなかった。

 度々「それは違いますよ」と指摘するしかなかった。

 ただ、それは彼にとっては面白いことではなかっただろう。

 とはいえ彼を肯定しながら、正反対のことを言うのはさすがに無理だ。

 「どこで僕を知りましたか?」と先に聞いて、テレフォン人生相談や加藤諦三先生がらみならば彼と同じやり方や考えを、僕をただTwitterなどで知った場合は、ただ僕が正しいとわかるやり方を、と変えていかねばならなかった。

 このやり方では、抑圧が生まれていつまで経っても出口がない、と思っていたが、本人が見つけていないのだからしょうがない。

 ご健在なうちは言わずにいようと思った。なにせ、みな彼を信じている。

 彼が正しいことしか教えていないと信じている。そうでない人は集まっていない。

 僕が彼と同じだと思う人がやってきては、彼への怒りや憎しみをぶつけていくので弱った。

 彼が言っていることは、僕が思っていることだった。

 彼は言っているが、僕は思っていた。

 だから僕と彼は違うことを言うのだが、こんな場合に人はよく「この人は同じ考えだ」と誤解するのだ。

 誰かが口にしたことを聞いて「私もそう思う」と納得した。

 これを、「私も同じ考えを持っているのだ」と勘違いする。だからややこしくなる。

 人の話を聞いて納得したのは、本人が納得がいく道理を説明したからに過ぎない。

 それが理想的な内容であればあるほど「自分もそうありたい」とは思える。

 だがそれは「自分もそう思う」ではないのだ。

 それがわからない人が多い。


 僕のところにいる人には、お金が無くて続けられない時には言いなさい、と言うことがある。

 とにかく続けていくことだ、と。

 僕が今ある矛盾をそのうち覆していくから、一緒にいれば必ず自然の流れにつないでやれる、と思っていた。

 少なくとも僕のところについてくる人たちには矛盾の波紋が及び続けないよう、僕がそのうちオセロをひっくり返すように逆転させればいい。

 彼は自分が矛盾していると思っていなかったし、自分自身がやっていることはハラスメントと同じだと分かっていなかった。

 彼はお金や名誉のためにやっていることを、人を助けるためにやっていると思い込んでいた。

 彼は極端なほど、「善い行い」をしながら生きなくてはならないと考えているようだった。

 彼は異常なほど、「清く正しい人」であろうとしていたが、その理由は祖父の話を書いてくれたおかげでわかった。
 そのために、彼は「一般的には普通の欲求さえ別の理由づけをして叶える必要性」があった。

 僕は本当に人のためを思って生きている。それまでも生きてきた。

 だから自分との違いはすぐにわかった。僕にはある部分が、彼にはなかった。

 自分の意思、という部分がなかった。
 その自覚が彼にはなかった。


 誰も悪者にしなくて済むように、どうすればいいのかとずっと考えてきた。


 僕は誰も憎くない。

 誰も悪者だと思わない。

 全ての理由を理解した上で、ただ自然な流れが生まれる方に導く。


 それが道理を通していく、ということだ。


 今回の本は、今までにないほど矛盾したものだった。

 だからもはやここまでと思った。

 彼の魂も救われたがっているのだろう。


 時間の流れを逆転させるために、この歪は生まれた。

 死に向かっていたこの国は、生を育む方向に変わっていく時期なのだ。


 矛盾した中に生きているというのは大変疲れるものだ。とても不自由で、好きに選べない。

 他人を守っていられるようにと考えれば考えるほど好きなことは言えないしできない。

 こんなややこしいことは疲れるだけなので、やはり素直に自然に生きるのが一番だと思った。


 僕が思うに、恐らく今まで教授の本を読んでどこか納得できなかったり、腑に落ちなかったりした人たちもいたのではないだろうか。


 「それでそのあとどうすればいいの」

 そして迷子になっていく人たちは、どうしたのか、僕は知らない。


 僕とは関係ないが、僕についてきてくれた人たちは自然の流れに戻し、もっと心を快適にして生きていけるよう、これから更に努めていきたい。


 教授が思うのとは違い、本当にもっと楽しくやれるものなのだから。













Twitter プロフィール
心理療法研究家、カウンセラー。精神分析、非言語療法、歴史、武家教育、仏教etc...古代氏族当主。歴史の流れと合わせて日本人の心理的変化を観察している。IQ150。レジリエンスパーソナリティ。精神分析学を加藤諦三より学ぶ。テレフォン人生相談ゲスト回答者。相談や講座を行っている。
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