何かに執着すると苦しみが増します。
諦めた方が楽になることもあります。
僕は最近、もう自分には無理だなと思って活動しています。
僕は誰も恨んでいないし、他人を変えるつもりは元々ないです。
加藤諦三先生の勧めには従ってきましたが、その理由は今も聞いていません。
なぜ、これが必要なのか僕は知りません。
そして今もわかりません。
うちの姉が母以上にすごい人で、暴力的で手の付けられない子になってしまったので、母はいつも姉に折れていました。
僕を目の敵にするので、姉に花を持たせてやるよう言われ、学校のランクを落とし、成績を下げ、僕が姉には敵わないと社会的に見て思えるように生きる道を進まされ、何もかも姉が怒り狂う度に、譲って譲って生きてきました。
新しい道を模索しても、少しずつ努力して進んでいけばまた姉が気に入らなくなるので、仕事も変え、人生を変え、とにかく嘆いても仕方ないので新しい道を常に模索し続けてきました。
他人を妬む人はいます。
こっちが何も張り合わなくても、どうしても他人の物が欲しい人もいます。
母が折れ続けたせいで、姉はいつでも威張っている暴君のような人になりました。
なんで自分ばかりがこんな目に遭わされるのだと思っていましたが、母は「家族が平和になるように」と思ってやっているのです。
誰も怒らなければ平和になると思っているから、姉のように文句を言わない僕に我慢させ、我儘な姉を黙らせるのです。
「お前はお姉ちゃんと違って勝ち負けにこだわらないからいいよね」
いつもそんなことを言われ、今まで計画してきた道を手放してきました。
しかし、それもいつまでも恨んで他人様に愚痴を言い続けていても仕方ないことです。
絶望しても、何度積み重ねたものを手放しても、もう一度ゼロから始めていくしかありません。
何かを持っていると、必ず妬む人はいます。
他人の力を利用して自分の目的を叶えようとする人はいます。
加藤諦三先生のところに学びに行った際は、なんとか人生を立て直していくための最中でした。
勉強することを断念してきたので、やっと知りたいことを学べると思っていました。
欲しいものは諦めて、持っていたものも売り払って勉強する資金にしていました。
しかし、もっと学ぶつもりだったのにそうは行かなくなりました。
ギリギリのラインでいつも生きてきましたが、やっとこれで自分も勉強ができる、と思って行った先にいた先生は、「嫌々勉強させられてきた人」です。
彼には、「学びたくても学ぶ環境が無い人」の想像はつかないと思います。
僕の人生の計画は大幅に変わりました。勉強を教えてもらった恩があるのでできる限りのことはしてきましたが、僕はそもそも「他人を変えようという気がない」のです。
もっと恨みがないと、続けられないことだと思いました。
何を説明されても僕はそれをどうにかしようと怒りを感じないので、彼は僕には本当に不幸な人の辛い気持が理解できないのだとがっかりしたでしょう。
彼は不幸な人だったので、僕が何か自分は体験しない「いい目」に遭えたラッキーな人間だと思っていたようですが、僕は彼を見ていても、他人を諦めればいいのにと思っていました。
僕は争う道を捨て、バカにしてくる人たちを離れ、ただ仲良く楽しくやっていこうという人達と仲間になってやってきました。
妄想恋愛ストーカー女子のような人には、30過ぎではじめて出会いました。
近所にいた友人にしても、離婚して近くにきたので密に接するようになってきたものの、仲良くなろうとしてみたらなれない人だとわかりました。
彼女は親も離婚した夫も、子供も憎んでいました。
僕は母に対しても恨みはなく、「お母さんも幸せになってくれ」と思って外に出ていきましたから、過去のことのために生きる気はないのです。
自分が幸せになれたら、人の幸せを願えるようになります。
他人が不幸でも気にならなくなります。眼に入らないからです。
僕には、最初から不幸は合わないのだなと思いました。
続けられないということは、性に合わないのです。
自分だけがという発想も、「そんなわけない」とすぐに脳内で否定してしまいます。
僕は、僕だけがこの世で特別不幸な人間であるという事実を、心から信じることができません。
不幸な人は、自分だけがこの世の主人公で、最も不幸な人であり、他人はみんな酷い人だと心から信じているようです。
現実的ではありませんが、それを心から信じられる人は、その道を行くために命を授かっているのだと思います。
人間の能力には限界があります。
人のせいにしようと思っても、し続けられない人もいます。
不幸もなれる人が限られています。
そのための能力がないと、なれないからです。
最近まで共に生きていく仲間を探してきましたが、誰も共に生きようとしてくれる人はいませんでした。
僕はどんな人でもいいのですが、人間が好きな人がもう殆どいないのです。
人と仲良く生きられる人たちは、日本を出ていきたがります。
今の日本は、幸せを感じる人が生き辛い世の中です。
自分が好きな自分で生きている人は、出来るだけ日本を出て行った方がいいのではないかと思っています。
住み分けが大事ですから、今の日本人に必要な憎しみ、怒り、そして恨みを持ち続け、我慢し続けることなど素質のある人たちによって国は作られていくでしょう。
ネットで争ったり、他人を評価して貶している人たちは日本にとても合っている人たちです。
我慢こそ日本人の真骨頂といえるくらい、自らの意思では勝手に動かない国民性です。
日本では生きやすい人間性ですから、どこにでも仲間がいます。
加藤諦三先生といた時に、「神経症の人を憎んでいないと、一緒に活動できないのだな」とわかりました。
僕はそんなことは考えてもおらず、元々「幸せになるためにどうすればいいか」の方法を考えてきました。
人生は、生きている時間をどんな風に使うかで幸と不幸が分かれます。
楽しい時間を半分過ごしたら、十分でしょう。
楽しい時間が殆どなければ、人生は不幸に感じられるでしょう。
そして恨みを持ち、復讐をしたがっている人は、憎い連中が苦しむ様を見るまで、楽しい時間は過ごせません。
僕は恨みで生きてこなかったので、あまりそうした人たちの群れにいることは慣れないです。
仲間になりたいと全く思いません。上手に合わせられないのです。
せっかく今度こそ勉強できると思ったのに、と今でも残念に思っています。
人生では、やりたいと思っても、何もできません。させてもらえません。
いつもいつも他人の人生を、自分の目的のために使おうとする人がいるからです。
幸せになりたいのではなく、復讐したい人たちの群れが不幸な人達なのだと知りました。
復讐したい人が、他人の幸せなど許すわけがありません。
自由に生きている人たちを見ても幸せになるわけがありません。
いつまでも嘆いていなくてはならず、楽しいことは「慰め」でしかないのです。
過去が大事で、これからはどうでもいいのです。
結婚がうまくいかない人が多いですが、僕が体験してきた限り、特別なことではないと思います。
殆どの人は、結婚を「楽園に行けるゴール」のように思っています。
共に生きる相手と一緒に進んでいくものではないようです。
女性は「男に縋りついて幸せにしてもらうもの」だと日本人は思っていますが、男に品物のように選んでもらって結婚するものではないと思います。品物のように選んでもダメです。
僕は好きな人でも、相手をなんの苦しみもない楽園に連れて行くことなどできません。
日本人の女性は女郎のように育てられた人が多く、気に入られるように尽くしたら、自分を品物のように選んでくれると期待してきます。
男はそれしかない、と思っているようで、そうではない人がいるという「概念そのものがない」のです。
互いに品物のように扱い、品評します。
気に入らないことがあると、酷い人間かのように扱います。
人を尊重するということがわからないのです。
夢を見たい人も多く、「いつかこの人が楽園に連れて行ってくれる!」という妄想をし続けるために接している人もいます。
僕はもう、諦めるものが無くなりました。
僕ならなんとかしてくれるとか、お父さんになって欲しかったとか、認められたら世界が自分に優しく変わる気がしていたとか、とにかく色々言われたことがありますが、僕には何もできません。
「この人のために、今の自分に何が諦められるか」と常に考えます。
一人の時に考えて、「これは諦めてもいいだろう、これは自分の欲であって、ただ自分が好きなものでしかない」という何かを諦めることで、相手が喜ぶ何かをする、というやり方が常で、それ以外に方法はありません。
これ以上諦めたら、相手を恨む、という限界まで頑張りますが、殺したくなるほど憎くなることもあり、これ以上はダメだ、と自分に言い聞かせます。
勿論相手は僕を罵倒してきますが、元々出会っていないような相手ですから、通り過ぎるだけなのです。
僕が本当に親しくなった人たちは、今のままの僕と付き合ってくれました。
友達にも恋人にもなってくれました。
そうでない人は、頑張るから「違う僕になれ」と求めてきます。
本人が望んでいるゴールにいるのは、今の僕ではないのです。
気の毒には思います。それが売りであるだけあって、話を聞いていると気の毒にはなります。
みな両親に愛されることなく育ち、これまでうまくいかないことや我慢していることが沢山あって、救いを求めているのです。
僕は全部諦めてきたので平気ですが、諦めるのは辛いので諦められないのです。
何かいいことがないと、諦められない。だから誰かに諦められるくらい満足させてほしいのです。
あるわけのない救いを求めて生きている人を、確かに憐れに思います。
しかし、僕もできるだけ自分個人の欲にあたることを諦めて生きてきましたが、それでも諦めてあげるにはもう僕が死ぬしかないと思えています。
意欲がなくなったのです。もうどうでもいい。どうせ何を頑張っても誰かのために使い果たすだけで、いつもいつも、過去の思い出の中の幸せを胸に堪えているだけの付き合いになります。
相手は、僕がそれで喜んでいないと許せないのです。
頑張って好意を示したら、僕が驚いて喜んで、相手の望みを叶えに「行かなくてはならない」のです。
この人、一体どんな人なのだろうか?
それすら知りません。
よく知らない人です。
人間など、本音で接する人でも知って行くまでには時間がかかります。
装っている人ならば何度あっても「よくわからない人」でしかありません。
今の僕が好きな人は、僕が生きていく道を決して邪魔しません。これからも共に生きていきたいと思ってくれるからです。
そんな体験があることが、僕の幸せなのだと最近はよく思います。
「この人なら望みを叶えてくれる!」と未来の別人である僕に期待する人など親をはじめ沢山いました。
しかし、そのままの自分でも仲良くしてくれる人など、100人に1人もいないと思います。
他人になんの期待もしない人。自分自身を好きで生きている人です。
だからこそ、今の自分のままでも仲良くしてくれるのです。
どう頑張っても僕にはどうにもできないことがあります。相手がどんなに尽くしてくれようが、僕が自分の未来のために用意していた何を諦めても、夢を見させ続けてあげることはできません。
そしてもう僕は疲れました。
もう死んでもいいかなと最近は思いますが、その前に、この道は僕が進みたかった道ではありません。
もう、この道を進むには無理があるのだと思いました。
加藤諦三先生はなんの説明もしませんでしたが、彼は「能力がある人間は自由に生きてはいけない」と思っているようでした。
「私たちは神経症の人たちを、原因である親子関係まで連れて行かねばならない」と仰っていましたから。
彼にとっては「自分のせいではなかった!親のせいだった!」が救いだったのでしょう。
しかし僕にとって親のせいになることは救いではありません。
僕の救いは「あんな風になりたい、彼らの仲間になりたい」と思えるほど楽しそうに、おおらかに生きている人たちの存在でした。
あんな風に生きることもできるんだ、と実在する人間がいたから思えたのです。
僕に縋りついてくる女性たちは、僕がもう諦めるものがなくなって何もできなくなると、傷ついた顔で去っていきました。
何の苦労もない顔で、安心させながら夢を叶え続けてあげなくてはならないのです。
それは、相手が努力しているからという理由で、確実にできなくてはならないことなのです。
つまり、他のことはできなくなるのです。人生が破綻します。
彼女たちにとっては、「今度こそ夢が叶うと思ったのに」という気持ちなのでしょう。
望んだ人間ではなくてごめんねとは思いますが、僕はその人を元々知らないので、気の毒には思ってもどうにもできません。
知りもしない、どこかの誰かでしかありませんから。
人間は、何も持たないのが一番です。
特出した能力があれば、必ずその力を利用しようとする人が現れます。
人生で何度もそのような人に出会いました。
そのような人からやっと逃れ、もう一度人生を立て直そうと意欲的に勉強していれば、また「その力は」と言う人が現れる。キリがないことです。
もう僕は40代も終わろうという年齢になりました。
加藤諦三先生に初めて出会ったときは、まだ30代でした。
あの頃ならできたことも、もう今はできません。
それ以降に出会った女性とも、あの頃力を合わせて生きていけるならばよかったですが、もうそんな場合でもありません。
彼女たちは日本の一般的な常識に合わせて、勝ち組になるべく躍起になっていました。
バカにされないために生きているからです。これからの人生も他人を見返すために使うのです。
「自分だけが特別」と思っている人は、加藤諦三先生を含めその周囲にいる不幸な人達みな同じでした。
彼らは「自分たちだけが不幸」だと思っているようですが、確かにそうだと思います。
僕はそんなに不幸ではありません。
諦めることができますから。
ただ、僕など特に何もできない人間なので、自分一人が人を恨まず愛を失わず生きるのが精々なのです。
その程度は、誰でもできます。
何がなくても、愛や勇気を持って生きることくらいならば、誰でもできます。
そうしたい人など、不幸な人の中にはいません。
僕も知りませんでしたが、こと臨床心理に関わる場は暗いです。
みんな深刻な顔で生きていて、常に何かを憎んでやっつけようとしています。
只管に、間違った人間を正すためだけに活動する場なのだと知りました。
本当に幸せそう、と思える人は見たことがありません。
学者世界にいる人たちは、子供の頃から猛勉強してきたような人たちばかりです。
みな真面目だとは思いますが、明るく楽しい雰囲気など誰も醸し出していません。
軍隊か、ヤクザに似ている、と思いました。
心理学の場にいる人たちは、逆だと思っていました。
自然な人間がどんなものか学んでいますから、まず自分が幸せになり、生きていると思っていました。それは間違いでした。
日本人の多くは、大きな力と共に人生を生きています。
しかし僕は元々名もない小さな世界を生きる人間です。
だからこそ、特にやらねばならないことなどなく、自分の考えと判断で生きていくことができるのです。
社会に義務とされた役割のある人はそうはいきませんが、僕の代わりなんていくらでもいます。
自分でなくてはならないのは自分くらいで、妄想恋愛ストーカーのように最初から「人違い」の人たちも大勢います。
ハーバードの幸福研究の話を紹介しましたが、幸福とは瞬間的な体験のことです。
僕が学生時代の仲間たちとの話をしてきましたが、その瞬間に幸せな時間があったのです。
生きている中で、そんな時間もあります。
その時、仲間たちの誰もが今ここにいる時間を過ごしていたのです。
誰一人として「自分の願望」など叶えようとせずに、今全員がここにいたのです。
もし、友達を誘導して自分の願望を叶えようとした奴がいたら、そいつだけは幸福を体験できなかったでしょう。
下心がある人は今幸せを感じることはできません。
これからもっと手に入れようと欲を出していれば、たった今が楽しいわけも幸せなわけもありません。
「今、ここにある時間」なんて、これから起こそうとしていることに比べたら、なんでもないことだからです。
常に、実際に体験している今は、「まだまだ大したことはない」のですから、満足などするわけがありません。
「いつかはきっと」
今に満足しない人は、誰かに夢や未来を諦めてもらいながら、夢を持ち続けるのです。
神経症の人が今まで出会った人達なんて、同じ人間としての価値は全くなかったのだなと残念に思います。
僕も、母や姉、そして妄想恋愛ストーカー女子たちなど、「期待に応えてもらえなかった」と思われたすべての人にとっては、存在したこと自体に価値がないでしょう。
それは間違いないです。この人がいて良かった、なんて思えた人は、もうしあわせですから。
そして殆どの人がそのような体験への恨みばかりですが、そんな時こそ「あの時の幸せ」を思い出し、自分が如何に恵まれていたのか、素晴らしい体験をしていたのか、最高の仲間たちと共にいたのかと実感するのです。
僕は不幸な人と共に争っていく輪に入れません。
誰にどんなに説得されても、怒りをぶつけられても、頑張って人を恨んで戦う人生になどしたくないのです。
加藤諦三先生にも、申し訳なく思ってはいます。
憎しみから生まれた正義の仲間にはどうしてもなれませんでした。
しかし、彼と行動を少しばかり共にしたことで、彼の苦労や苦悩も多少なりと理解できました。
僕はただ人を理解して生きていくしかできないので、楽しく幸せな時間を「生み出す」ために生きていくことにします。
不幸な人が進んだ先に幸せなどありません。
幸せな人に変わった人が、幸せを実感して、苦労も実感して、進んでいくだけです。
沢山の人に出会い、どれだけの人を好きになれるか、嫌わずに生きていけるか。
自分以外の人は全て自分と違いますから、より広い視野で物事を捉え、そして人を尊重する能力が試されているのです。
人生を通じて、どれだけ多くの人を仲間として迎え入れていけるか、僕はそっちの努力をしていきたいと思います。
怒りや憎しみを持って生きる人たちに「そんなことしてたらダメだ」と言う気すら起きないのです。
どうにかしなくてはならない人たちなのだ、と教えられても、やりたい気持ちが生まれません。
楽しくないし、面白くないし、人を嫌いになっていくからです。
社会的には正しいとされる方法で頑張っている人たちもいますが、彼らは元々僕とは全く違う方向性で生きる人格なのだなと思います。
僕は母に対しても、「幸せになってもらいたい」と願えていましたが、今では他人に対しても「幸せになってもらいたい」と強く思える気持ちが無くなってきました。
「こんなにしているのに」という絶望や諦め、そして憎しみが湧いてくるようになりました。
なぜ、彼らを「なんとかしなくてはならないのだろうか?」
これは、加藤諦三先生に聞かねばわからないことです。僕は理由を聞いていないので。
僕は、たった今を生きる人と、たった今を生きた瞬間、今を実感して「これが幸せなのだ」と感じることができました。
たった今を生きる人が滅多にいない今の日本には、今を生きる人はいない方がいい。
出て行った方がいい、と僕は思っています。
もう日本は終わる。
国の形以上に、もう中身はほぼ消滅しています。
日本人は他人の足を引っ張り、権力を崇拝し、自分ではない誰かの力で生きる国民になりました。
日本人が思う強い人間とは、怒りと憎しみを強く持ち、社会的に正しい言葉を吐きながら間違っている人間を断罪する人です。
それが、大多数の日本人が憧れる人間像であり、強い父親像です。
そのような強い父親代わりの誰かを崇拝し、従い、誰かに救ってもらうために我慢して生きている人々。
同じ正しいものを崇拝する仲間と共に戦う人生。
または、現実を放棄して一人で好きにする人生。
そこに仲間なんていないのです。
結局、やりたくもないことは後が続かないのです。
本当は、すぐにやめた僕以外にひとりだけやめたがっている先生がいるので、その人を自由にしてあげて欲しい、と願っています。
不幸な人達を放っておくのは無責任だと考える人がいますが、もしそうであるならば、幸せな人なんて誰もいなくなります。
僕は不幸な母を苦しめないために、犠牲となって生き始め人を憎むようになりました。
母の幸せは僕の不幸。しかし、母は僕が我慢しても言う事を聞いても、一向に幸せになどなりませんでした。
ただ、僕が高校生になり、仲間に出会い、それまでの「優等生」から一転して好きに楽しく生き始めた頃に、それまでとは違い、懐かしそうに、楽しそうにすることもありました。
「お母さんも若い頃は毎週のように友達と繁華街に行って…」
母は結局親の言うとおりに生きて、何もかも嫌になった人でした。
逆らっても自由に生きようとする僕に昔の自分を重ねて見たのでしょう。
その頃から、僕が自由に楽しくしていることに寛容な面を見せることがありました。
自分が変わると、母の態度も多少は変わっていくのだなと驚いたものです。
母は幸せになれませんでした。
だからせめて、僕が幸せになっている姿を見せることが親孝行だと思っています。
今、他人の不幸をなんとかしようと何もかも諦めてあげることよりも、僕や娘が幸せに生きていることを母も願っていると僕は信じています。
これまでの活動を知ったら、きっと祖母は叱りつけてくるでしょう。
人様のことを構うほど偉くなったのかと、叱咤することは間違いないと思います。
黙って人様に日々感謝して生きる。
それが当然と考える祖母でしたから、あろうことか貴族の真似事をしていると責められると思います。
どちらにせよ、僕はもう限界です。
怒りと恨みで生きていないので、関わるところを間違えたのだなと思っています。
不幸な人を救うなんてことは考えていません。
僕が、生きるために人様の力を借りて、助け合っていければ十分な人生です。
僕は元々、親に捨てられ虐待されて育った人間です。
自分が当事者なので、救ってやる役になるには役不足なのです。
当事者であるとどうしても個人的感情が生まれてしまいますから、公平な立場になりえないのです。
誰が可哀想な立場だとか、誰が悪い奴だとか、そんなことを死ぬまで言い続ける人生にしたくはないのです。
僕は母をやっつけて幸せになるのではなく、母からもらったものを持って幸せに生きていく道を選びます。
所詮恨みを捨てて生きた人間なんて、頑張ってもこの程度。
やり続ける度に意欲を失い、他人が嫌いになっていくのが関の山。
常日頃からあんなに皆に何かするためにちまちまと細かいこともしていたのに、自分はどうしてしまったのかと思えるほど、何もしなくなりました。
したくなくなったのです。
こんなに不幸になっていくとは思いませんでした。
不幸な人達と共に進むと、同じように人間が嫌いになり、意欲が無くなるのです。
過去に強い恨みや憎しみを持つ人だけが、不幸な人の救い主となる力を持つのです。
世の中には、恨みや憎しみ以外にも、嫉妬や怒り以外にも、楽しいこと、嬉しいことが沢山あります。
何を目的に生きるかは、本人の中身次第です。
どこで道を間違えたのかなと最近は思います。
こんなはずではなかったのに、もっと楽しく幸せになれるものを作っていきたかったのに、こんなに人を憎んで生きている人たちが大勢いると知りませんでしたから、僕の経験不足です。
こんなに常に人を罵っている人たち、常に暗い人たちがいるとは知りませんでした。
が、未だによくわからないのは、単に僕が嫌いなのではないかと思えるのです。
いくらなんでも好きな人、親しい人にはそんなことはしないだろうと思えるのです。
僕が知らないどこかでは、明るく楽しくしているのではないか、と僕には思えます。
どこまでいっても「自分以外の人は想像がつかない」のです。
どこまでも相容れないのです。
やる気がなくなるのは、もう書くことも話すこともなくなってきたからなのです。
どんなに頑張っても、僕から出てくる不幸な話はたかが知れています。
苦労はしていても、人は憎んでいないからです。
最近は他の楽しいことの方が良くて、でもそれは不幸な人達の望むものではないと思うのでネタにもならないのです。
楽しく生きている人には楽しいものは必要であっても、恨み憎しみの中にいる人たちには必要ないものです。
「見てるだけ」ならば必要としても、実際にやるつもりはないので、ただ見てるだけが好きなのです。
こんなにも人を憎んで、嫌って、人生を送っている人たちが大勢いると知りませんでした。
知りませんでしたが、僕には関係ない世界の話なのだとつくづく思いました。
娘には「チャンネルを分けてやった方がいい」と言われましたので、今後は明るく生きたい人のためのネタとそうでないネタは、別にして分けていこうと思っています。
とにかく、もうこれ以上テンション低く生きていくことはもう僕には不可能です。
人にはできないことがありますから、テンションが上がらない人たちには本当に申し訳ないと思っています。
皆さんも自由にした方がいい、と個人的には思っています。
社会的には理想的で正しいことであっても、やるかどうかは自由なのですから。
そして今では僕も、出版社に多く寄せられるという疑問を加藤諦三先生に持っているのです。
一体、何をすればいいのか?と。
それは恐らく、彼自身が知りたいところなのだと思います。
ただ、僕は幸せになるためにはどうしたらいいのかは知っている。
だからやはり元に戻る道を選ぶのです。
その方が自分にとって良いのだと既に知っているからです。
諦めた方が楽になることもあります。
僕は最近、もう自分には無理だなと思って活動しています。
僕は誰も恨んでいないし、他人を変えるつもりは元々ないです。
加藤諦三先生の勧めには従ってきましたが、その理由は今も聞いていません。
なぜ、これが必要なのか僕は知りません。
そして今もわかりません。
うちの姉が母以上にすごい人で、暴力的で手の付けられない子になってしまったので、母はいつも姉に折れていました。
僕を目の敵にするので、姉に花を持たせてやるよう言われ、学校のランクを落とし、成績を下げ、僕が姉には敵わないと社会的に見て思えるように生きる道を進まされ、何もかも姉が怒り狂う度に、譲って譲って生きてきました。
新しい道を模索しても、少しずつ努力して進んでいけばまた姉が気に入らなくなるので、仕事も変え、人生を変え、とにかく嘆いても仕方ないので新しい道を常に模索し続けてきました。
他人を妬む人はいます。
こっちが何も張り合わなくても、どうしても他人の物が欲しい人もいます。
母が折れ続けたせいで、姉はいつでも威張っている暴君のような人になりました。
なんで自分ばかりがこんな目に遭わされるのだと思っていましたが、母は「家族が平和になるように」と思ってやっているのです。
誰も怒らなければ平和になると思っているから、姉のように文句を言わない僕に我慢させ、我儘な姉を黙らせるのです。
「お前はお姉ちゃんと違って勝ち負けにこだわらないからいいよね」
いつもそんなことを言われ、今まで計画してきた道を手放してきました。
しかし、それもいつまでも恨んで他人様に愚痴を言い続けていても仕方ないことです。
絶望しても、何度積み重ねたものを手放しても、もう一度ゼロから始めていくしかありません。
何かを持っていると、必ず妬む人はいます。
他人の力を利用して自分の目的を叶えようとする人はいます。
加藤諦三先生のところに学びに行った際は、なんとか人生を立て直していくための最中でした。
勉強することを断念してきたので、やっと知りたいことを学べると思っていました。
欲しいものは諦めて、持っていたものも売り払って勉強する資金にしていました。
しかし、もっと学ぶつもりだったのにそうは行かなくなりました。
ギリギリのラインでいつも生きてきましたが、やっとこれで自分も勉強ができる、と思って行った先にいた先生は、「嫌々勉強させられてきた人」です。
彼には、「学びたくても学ぶ環境が無い人」の想像はつかないと思います。
僕の人生の計画は大幅に変わりました。勉強を教えてもらった恩があるのでできる限りのことはしてきましたが、僕はそもそも「他人を変えようという気がない」のです。
もっと恨みがないと、続けられないことだと思いました。
何を説明されても僕はそれをどうにかしようと怒りを感じないので、彼は僕には本当に不幸な人の辛い気持が理解できないのだとがっかりしたでしょう。
彼は不幸な人だったので、僕が何か自分は体験しない「いい目」に遭えたラッキーな人間だと思っていたようですが、僕は彼を見ていても、他人を諦めればいいのにと思っていました。
僕は争う道を捨て、バカにしてくる人たちを離れ、ただ仲良く楽しくやっていこうという人達と仲間になってやってきました。
妄想恋愛ストーカー女子のような人には、30過ぎではじめて出会いました。
近所にいた友人にしても、離婚して近くにきたので密に接するようになってきたものの、仲良くなろうとしてみたらなれない人だとわかりました。
彼女は親も離婚した夫も、子供も憎んでいました。
僕は母に対しても恨みはなく、「お母さんも幸せになってくれ」と思って外に出ていきましたから、過去のことのために生きる気はないのです。
自分が幸せになれたら、人の幸せを願えるようになります。
他人が不幸でも気にならなくなります。眼に入らないからです。
僕には、最初から不幸は合わないのだなと思いました。
続けられないということは、性に合わないのです。
自分だけがという発想も、「そんなわけない」とすぐに脳内で否定してしまいます。
僕は、僕だけがこの世で特別不幸な人間であるという事実を、心から信じることができません。
不幸な人は、自分だけがこの世の主人公で、最も不幸な人であり、他人はみんな酷い人だと心から信じているようです。
現実的ではありませんが、それを心から信じられる人は、その道を行くために命を授かっているのだと思います。
人間の能力には限界があります。
人のせいにしようと思っても、し続けられない人もいます。
不幸もなれる人が限られています。
そのための能力がないと、なれないからです。
最近まで共に生きていく仲間を探してきましたが、誰も共に生きようとしてくれる人はいませんでした。
僕はどんな人でもいいのですが、人間が好きな人がもう殆どいないのです。
人と仲良く生きられる人たちは、日本を出ていきたがります。
今の日本は、幸せを感じる人が生き辛い世の中です。
自分が好きな自分で生きている人は、出来るだけ日本を出て行った方がいいのではないかと思っています。
住み分けが大事ですから、今の日本人に必要な憎しみ、怒り、そして恨みを持ち続け、我慢し続けることなど素質のある人たちによって国は作られていくでしょう。
ネットで争ったり、他人を評価して貶している人たちは日本にとても合っている人たちです。
我慢こそ日本人の真骨頂といえるくらい、自らの意思では勝手に動かない国民性です。
日本では生きやすい人間性ですから、どこにでも仲間がいます。
加藤諦三先生といた時に、「神経症の人を憎んでいないと、一緒に活動できないのだな」とわかりました。
僕はそんなことは考えてもおらず、元々「幸せになるためにどうすればいいか」の方法を考えてきました。
人生は、生きている時間をどんな風に使うかで幸と不幸が分かれます。
楽しい時間を半分過ごしたら、十分でしょう。
楽しい時間が殆どなければ、人生は不幸に感じられるでしょう。
そして恨みを持ち、復讐をしたがっている人は、憎い連中が苦しむ様を見るまで、楽しい時間は過ごせません。
僕は恨みで生きてこなかったので、あまりそうした人たちの群れにいることは慣れないです。
仲間になりたいと全く思いません。上手に合わせられないのです。
せっかく今度こそ勉強できると思ったのに、と今でも残念に思っています。
人生では、やりたいと思っても、何もできません。させてもらえません。
いつもいつも他人の人生を、自分の目的のために使おうとする人がいるからです。
幸せになりたいのではなく、復讐したい人たちの群れが不幸な人達なのだと知りました。
復讐したい人が、他人の幸せなど許すわけがありません。
自由に生きている人たちを見ても幸せになるわけがありません。
いつまでも嘆いていなくてはならず、楽しいことは「慰め」でしかないのです。
過去が大事で、これからはどうでもいいのです。
結婚がうまくいかない人が多いですが、僕が体験してきた限り、特別なことではないと思います。
殆どの人は、結婚を「楽園に行けるゴール」のように思っています。
共に生きる相手と一緒に進んでいくものではないようです。
女性は「男に縋りついて幸せにしてもらうもの」だと日本人は思っていますが、男に品物のように選んでもらって結婚するものではないと思います。品物のように選んでもダメです。
僕は好きな人でも、相手をなんの苦しみもない楽園に連れて行くことなどできません。
日本人の女性は女郎のように育てられた人が多く、気に入られるように尽くしたら、自分を品物のように選んでくれると期待してきます。
男はそれしかない、と思っているようで、そうではない人がいるという「概念そのものがない」のです。
互いに品物のように扱い、品評します。
気に入らないことがあると、酷い人間かのように扱います。
人を尊重するということがわからないのです。
夢を見たい人も多く、「いつかこの人が楽園に連れて行ってくれる!」という妄想をし続けるために接している人もいます。
僕はもう、諦めるものが無くなりました。
僕ならなんとかしてくれるとか、お父さんになって欲しかったとか、認められたら世界が自分に優しく変わる気がしていたとか、とにかく色々言われたことがありますが、僕には何もできません。
「この人のために、今の自分に何が諦められるか」と常に考えます。
一人の時に考えて、「これは諦めてもいいだろう、これは自分の欲であって、ただ自分が好きなものでしかない」という何かを諦めることで、相手が喜ぶ何かをする、というやり方が常で、それ以外に方法はありません。
これ以上諦めたら、相手を恨む、という限界まで頑張りますが、殺したくなるほど憎くなることもあり、これ以上はダメだ、と自分に言い聞かせます。
勿論相手は僕を罵倒してきますが、元々出会っていないような相手ですから、通り過ぎるだけなのです。
僕が本当に親しくなった人たちは、今のままの僕と付き合ってくれました。
友達にも恋人にもなってくれました。
そうでない人は、頑張るから「違う僕になれ」と求めてきます。
本人が望んでいるゴールにいるのは、今の僕ではないのです。
気の毒には思います。それが売りであるだけあって、話を聞いていると気の毒にはなります。
みな両親に愛されることなく育ち、これまでうまくいかないことや我慢していることが沢山あって、救いを求めているのです。
僕は全部諦めてきたので平気ですが、諦めるのは辛いので諦められないのです。
何かいいことがないと、諦められない。だから誰かに諦められるくらい満足させてほしいのです。
あるわけのない救いを求めて生きている人を、確かに憐れに思います。
しかし、僕もできるだけ自分個人の欲にあたることを諦めて生きてきましたが、それでも諦めてあげるにはもう僕が死ぬしかないと思えています。
意欲がなくなったのです。もうどうでもいい。どうせ何を頑張っても誰かのために使い果たすだけで、いつもいつも、過去の思い出の中の幸せを胸に堪えているだけの付き合いになります。
相手は、僕がそれで喜んでいないと許せないのです。
頑張って好意を示したら、僕が驚いて喜んで、相手の望みを叶えに「行かなくてはならない」のです。
この人、一体どんな人なのだろうか?
それすら知りません。
よく知らない人です。
人間など、本音で接する人でも知って行くまでには時間がかかります。
装っている人ならば何度あっても「よくわからない人」でしかありません。
今の僕が好きな人は、僕が生きていく道を決して邪魔しません。これからも共に生きていきたいと思ってくれるからです。
そんな体験があることが、僕の幸せなのだと最近はよく思います。
「この人なら望みを叶えてくれる!」と未来の別人である僕に期待する人など親をはじめ沢山いました。
しかし、そのままの自分でも仲良くしてくれる人など、100人に1人もいないと思います。
他人になんの期待もしない人。自分自身を好きで生きている人です。
だからこそ、今の自分のままでも仲良くしてくれるのです。
どう頑張っても僕にはどうにもできないことがあります。相手がどんなに尽くしてくれようが、僕が自分の未来のために用意していた何を諦めても、夢を見させ続けてあげることはできません。
そしてもう僕は疲れました。
もう死んでもいいかなと最近は思いますが、その前に、この道は僕が進みたかった道ではありません。
もう、この道を進むには無理があるのだと思いました。
加藤諦三先生はなんの説明もしませんでしたが、彼は「能力がある人間は自由に生きてはいけない」と思っているようでした。
「私たちは神経症の人たちを、原因である親子関係まで連れて行かねばならない」と仰っていましたから。
彼にとっては「自分のせいではなかった!親のせいだった!」が救いだったのでしょう。
しかし僕にとって親のせいになることは救いではありません。
僕の救いは「あんな風になりたい、彼らの仲間になりたい」と思えるほど楽しそうに、おおらかに生きている人たちの存在でした。
あんな風に生きることもできるんだ、と実在する人間がいたから思えたのです。
僕に縋りついてくる女性たちは、僕がもう諦めるものがなくなって何もできなくなると、傷ついた顔で去っていきました。
何の苦労もない顔で、安心させながら夢を叶え続けてあげなくてはならないのです。
それは、相手が努力しているからという理由で、確実にできなくてはならないことなのです。
つまり、他のことはできなくなるのです。人生が破綻します。
彼女たちにとっては、「今度こそ夢が叶うと思ったのに」という気持ちなのでしょう。
望んだ人間ではなくてごめんねとは思いますが、僕はその人を元々知らないので、気の毒には思ってもどうにもできません。
知りもしない、どこかの誰かでしかありませんから。
人間は、何も持たないのが一番です。
特出した能力があれば、必ずその力を利用しようとする人が現れます。
人生で何度もそのような人に出会いました。
そのような人からやっと逃れ、もう一度人生を立て直そうと意欲的に勉強していれば、また「その力は」と言う人が現れる。キリがないことです。
もう僕は40代も終わろうという年齢になりました。
加藤諦三先生に初めて出会ったときは、まだ30代でした。
あの頃ならできたことも、もう今はできません。
それ以降に出会った女性とも、あの頃力を合わせて生きていけるならばよかったですが、もうそんな場合でもありません。
彼女たちは日本の一般的な常識に合わせて、勝ち組になるべく躍起になっていました。
バカにされないために生きているからです。これからの人生も他人を見返すために使うのです。
「自分だけが特別」と思っている人は、加藤諦三先生を含めその周囲にいる不幸な人達みな同じでした。
彼らは「自分たちだけが不幸」だと思っているようですが、確かにそうだと思います。
僕はそんなに不幸ではありません。
諦めることができますから。
ただ、僕など特に何もできない人間なので、自分一人が人を恨まず愛を失わず生きるのが精々なのです。
その程度は、誰でもできます。
何がなくても、愛や勇気を持って生きることくらいならば、誰でもできます。
そうしたい人など、不幸な人の中にはいません。
僕も知りませんでしたが、こと臨床心理に関わる場は暗いです。
みんな深刻な顔で生きていて、常に何かを憎んでやっつけようとしています。
只管に、間違った人間を正すためだけに活動する場なのだと知りました。
本当に幸せそう、と思える人は見たことがありません。
学者世界にいる人たちは、子供の頃から猛勉強してきたような人たちばかりです。
みな真面目だとは思いますが、明るく楽しい雰囲気など誰も醸し出していません。
軍隊か、ヤクザに似ている、と思いました。
心理学の場にいる人たちは、逆だと思っていました。
自然な人間がどんなものか学んでいますから、まず自分が幸せになり、生きていると思っていました。それは間違いでした。
日本人の多くは、大きな力と共に人生を生きています。
しかし僕は元々名もない小さな世界を生きる人間です。
だからこそ、特にやらねばならないことなどなく、自分の考えと判断で生きていくことができるのです。
社会に義務とされた役割のある人はそうはいきませんが、僕の代わりなんていくらでもいます。
自分でなくてはならないのは自分くらいで、妄想恋愛ストーカーのように最初から「人違い」の人たちも大勢います。
ハーバードの幸福研究の話を紹介しましたが、幸福とは瞬間的な体験のことです。
僕が学生時代の仲間たちとの話をしてきましたが、その瞬間に幸せな時間があったのです。
生きている中で、そんな時間もあります。
その時、仲間たちの誰もが今ここにいる時間を過ごしていたのです。
誰一人として「自分の願望」など叶えようとせずに、今全員がここにいたのです。
もし、友達を誘導して自分の願望を叶えようとした奴がいたら、そいつだけは幸福を体験できなかったでしょう。
下心がある人は今幸せを感じることはできません。
これからもっと手に入れようと欲を出していれば、たった今が楽しいわけも幸せなわけもありません。
「今、ここにある時間」なんて、これから起こそうとしていることに比べたら、なんでもないことだからです。
常に、実際に体験している今は、「まだまだ大したことはない」のですから、満足などするわけがありません。
「いつかはきっと」
今に満足しない人は、誰かに夢や未来を諦めてもらいながら、夢を持ち続けるのです。
神経症の人が今まで出会った人達なんて、同じ人間としての価値は全くなかったのだなと残念に思います。
僕も、母や姉、そして妄想恋愛ストーカー女子たちなど、「期待に応えてもらえなかった」と思われたすべての人にとっては、存在したこと自体に価値がないでしょう。
それは間違いないです。この人がいて良かった、なんて思えた人は、もうしあわせですから。
そして殆どの人がそのような体験への恨みばかりですが、そんな時こそ「あの時の幸せ」を思い出し、自分が如何に恵まれていたのか、素晴らしい体験をしていたのか、最高の仲間たちと共にいたのかと実感するのです。
僕は不幸な人と共に争っていく輪に入れません。
誰にどんなに説得されても、怒りをぶつけられても、頑張って人を恨んで戦う人生になどしたくないのです。
加藤諦三先生にも、申し訳なく思ってはいます。
憎しみから生まれた正義の仲間にはどうしてもなれませんでした。
しかし、彼と行動を少しばかり共にしたことで、彼の苦労や苦悩も多少なりと理解できました。
僕はただ人を理解して生きていくしかできないので、楽しく幸せな時間を「生み出す」ために生きていくことにします。
不幸な人が進んだ先に幸せなどありません。
幸せな人に変わった人が、幸せを実感して、苦労も実感して、進んでいくだけです。
沢山の人に出会い、どれだけの人を好きになれるか、嫌わずに生きていけるか。
自分以外の人は全て自分と違いますから、より広い視野で物事を捉え、そして人を尊重する能力が試されているのです。
人生を通じて、どれだけ多くの人を仲間として迎え入れていけるか、僕はそっちの努力をしていきたいと思います。
怒りや憎しみを持って生きる人たちに「そんなことしてたらダメだ」と言う気すら起きないのです。
どうにかしなくてはならない人たちなのだ、と教えられても、やりたい気持ちが生まれません。
楽しくないし、面白くないし、人を嫌いになっていくからです。
社会的には正しいとされる方法で頑張っている人たちもいますが、彼らは元々僕とは全く違う方向性で生きる人格なのだなと思います。
僕は母に対しても、「幸せになってもらいたい」と願えていましたが、今では他人に対しても「幸せになってもらいたい」と強く思える気持ちが無くなってきました。
「こんなにしているのに」という絶望や諦め、そして憎しみが湧いてくるようになりました。
なぜ、彼らを「なんとかしなくてはならないのだろうか?」
これは、加藤諦三先生に聞かねばわからないことです。僕は理由を聞いていないので。
僕は、たった今を生きる人と、たった今を生きた瞬間、今を実感して「これが幸せなのだ」と感じることができました。
たった今を生きる人が滅多にいない今の日本には、今を生きる人はいない方がいい。
出て行った方がいい、と僕は思っています。
もう日本は終わる。
国の形以上に、もう中身はほぼ消滅しています。
日本人は他人の足を引っ張り、権力を崇拝し、自分ではない誰かの力で生きる国民になりました。
日本人が思う強い人間とは、怒りと憎しみを強く持ち、社会的に正しい言葉を吐きながら間違っている人間を断罪する人です。
それが、大多数の日本人が憧れる人間像であり、強い父親像です。
そのような強い父親代わりの誰かを崇拝し、従い、誰かに救ってもらうために我慢して生きている人々。
同じ正しいものを崇拝する仲間と共に戦う人生。
または、現実を放棄して一人で好きにする人生。
そこに仲間なんていないのです。
結局、やりたくもないことは後が続かないのです。
本当は、すぐにやめた僕以外にひとりだけやめたがっている先生がいるので、その人を自由にしてあげて欲しい、と願っています。
不幸な人達を放っておくのは無責任だと考える人がいますが、もしそうであるならば、幸せな人なんて誰もいなくなります。
僕は不幸な母を苦しめないために、犠牲となって生き始め人を憎むようになりました。
母の幸せは僕の不幸。しかし、母は僕が我慢しても言う事を聞いても、一向に幸せになどなりませんでした。
ただ、僕が高校生になり、仲間に出会い、それまでの「優等生」から一転して好きに楽しく生き始めた頃に、それまでとは違い、懐かしそうに、楽しそうにすることもありました。
「お母さんも若い頃は毎週のように友達と繁華街に行って…」
母は結局親の言うとおりに生きて、何もかも嫌になった人でした。
逆らっても自由に生きようとする僕に昔の自分を重ねて見たのでしょう。
その頃から、僕が自由に楽しくしていることに寛容な面を見せることがありました。
自分が変わると、母の態度も多少は変わっていくのだなと驚いたものです。
母は幸せになれませんでした。
だからせめて、僕が幸せになっている姿を見せることが親孝行だと思っています。
今、他人の不幸をなんとかしようと何もかも諦めてあげることよりも、僕や娘が幸せに生きていることを母も願っていると僕は信じています。
これまでの活動を知ったら、きっと祖母は叱りつけてくるでしょう。
人様のことを構うほど偉くなったのかと、叱咤することは間違いないと思います。
黙って人様に日々感謝して生きる。
それが当然と考える祖母でしたから、あろうことか貴族の真似事をしていると責められると思います。
どちらにせよ、僕はもう限界です。
怒りと恨みで生きていないので、関わるところを間違えたのだなと思っています。
不幸な人を救うなんてことは考えていません。
僕が、生きるために人様の力を借りて、助け合っていければ十分な人生です。
僕は元々、親に捨てられ虐待されて育った人間です。
自分が当事者なので、救ってやる役になるには役不足なのです。
当事者であるとどうしても個人的感情が生まれてしまいますから、公平な立場になりえないのです。
誰が可哀想な立場だとか、誰が悪い奴だとか、そんなことを死ぬまで言い続ける人生にしたくはないのです。
僕は母をやっつけて幸せになるのではなく、母からもらったものを持って幸せに生きていく道を選びます。
所詮恨みを捨てて生きた人間なんて、頑張ってもこの程度。
やり続ける度に意欲を失い、他人が嫌いになっていくのが関の山。
常日頃からあんなに皆に何かするためにちまちまと細かいこともしていたのに、自分はどうしてしまったのかと思えるほど、何もしなくなりました。
したくなくなったのです。
こんなに不幸になっていくとは思いませんでした。
不幸な人達と共に進むと、同じように人間が嫌いになり、意欲が無くなるのです。
過去に強い恨みや憎しみを持つ人だけが、不幸な人の救い主となる力を持つのです。
世の中には、恨みや憎しみ以外にも、嫉妬や怒り以外にも、楽しいこと、嬉しいことが沢山あります。
何を目的に生きるかは、本人の中身次第です。
どこで道を間違えたのかなと最近は思います。
こんなはずではなかったのに、もっと楽しく幸せになれるものを作っていきたかったのに、こんなに人を憎んで生きている人たちが大勢いると知りませんでしたから、僕の経験不足です。
こんなに常に人を罵っている人たち、常に暗い人たちがいるとは知りませんでした。
が、未だによくわからないのは、単に僕が嫌いなのではないかと思えるのです。
いくらなんでも好きな人、親しい人にはそんなことはしないだろうと思えるのです。
僕が知らないどこかでは、明るく楽しくしているのではないか、と僕には思えます。
どこまでいっても「自分以外の人は想像がつかない」のです。
どこまでも相容れないのです。
やる気がなくなるのは、もう書くことも話すこともなくなってきたからなのです。
どんなに頑張っても、僕から出てくる不幸な話はたかが知れています。
苦労はしていても、人は憎んでいないからです。
最近は他の楽しいことの方が良くて、でもそれは不幸な人達の望むものではないと思うのでネタにもならないのです。
楽しく生きている人には楽しいものは必要であっても、恨み憎しみの中にいる人たちには必要ないものです。
「見てるだけ」ならば必要としても、実際にやるつもりはないので、ただ見てるだけが好きなのです。
こんなにも人を憎んで、嫌って、人生を送っている人たちが大勢いると知りませんでした。
知りませんでしたが、僕には関係ない世界の話なのだとつくづく思いました。
娘には「チャンネルを分けてやった方がいい」と言われましたので、今後は明るく生きたい人のためのネタとそうでないネタは、別にして分けていこうと思っています。
とにかく、もうこれ以上テンション低く生きていくことはもう僕には不可能です。
人にはできないことがありますから、テンションが上がらない人たちには本当に申し訳ないと思っています。
皆さんも自由にした方がいい、と個人的には思っています。
社会的には理想的で正しいことであっても、やるかどうかは自由なのですから。
そして今では僕も、出版社に多く寄せられるという疑問を加藤諦三先生に持っているのです。
一体、何をすればいいのか?と。
それは恐らく、彼自身が知りたいところなのだと思います。
ただ、僕は幸せになるためにはどうしたらいいのかは知っている。
だからやはり元に戻る道を選ぶのです。
その方が自分にとって良いのだと既に知っているからです。