Refresherぷらすより
人は自らの過ちを認め、改善することで成長する。
それは個人の反省にとどまらない。
近く金沢講座を控え、これまで自分のアイデンティティについて知ることが大切であると話し続けてきたこともあり、自分たちの反省点について考えたい。
その土地その土地に人の考え方がある。
僕たちが今何を正しいと思っているのかが、社会の「正しい」に沿っているように、昔はアメリカの州のようにそれぞれ違う政治を執り行う藩があった。バラバラの国があったようなものである。
殿が違えば考え方も違う。
そんな中で、僕は我々加賀藩の人間の反省点について考えたい。
僕たちの反省すべき点は、「日和見」であると思っている。
悪い面ばかりではない。度が過ぎればなんでも欠点になる。
我々加賀藩の末期を知っているだろうか?
一度は幕府に味方しようとしたものの、幕府軍が敗走したことを受け新政府軍に与している。
前田家は松平姓と葵の紋を下賜された準親藩の大廊下である。
あってはならない結末と言えるが、それもこれも我々領民を守るためである。
殿とは、領民皆の父である。
「他所の人間がどんなに前田の殿を情けないだ日和見だとバカにしても、耳を貸すな。全ては我々加賀藩の領民を守るためだったのだ。」
と僕は子供の頃に教わった。
それは正しいと思う。実際、金沢は一度も戦火に遭ったことがなく、未だに1700年代の街並みが残っている。これが大変珍しいことなのだと、金沢の人間もよくわかっていない。
僕たちは、前田の殿が如何なる気持ちで頭を下げてきたのかを、知るべきであろう。
しかし、今は時代が違う。
同じ生き方と考え方を続けていいわけではない。
本質は同じでも、変化しなくてはならない点がある。
基本的に、石川県の男は忍耐強く攻撃的ではない。
どちらかと言うと受け身で、以前紹介したPRESIDENTオンラインの「県民性」からもわかる通り、外の人々から見ると「何を考えているのかわからない」ほど決断が遅い。
この気質は全体に見られる。
だが、これはあくまでも「それなりのものが継続してあったから」である。加賀百万石を誇る文化は、政治のお陰である。
僕は内側の人間なので、考えあってのものであると知っているからなんとも思わないが、これを少し改めていくべきではないかと思う。
僕たちが互いに頭を下げ合って感謝していればうまくいったのは、江戸時代までである。
ねずみ講騙され率ナンバーワンになってしまった我々は、今一度考えねばならない。
警戒しなくても平気だったのは、それだけ平和な世界が守られていたからである。
しかし、今の政治はどうか?今の資本主義の世の中はどうか?
仕組みが変わった。そして、全体が加賀藩なわけではない。
「一番偉いのはお百姓さん」
「立場の弱い人から配ってもらえる」
「立場の弱い人こそ話をきいてもらえる」
「上に立つ人間が最も謙虚に」
「上に立つ人間が最も最後に残り物をもらう」
これら、当たり前のことが守られているだろうか?
答えは否である。
僕たちはこの社会の移り変わりに動揺している場合ではないのだ。
なぜ、どこで、「いつ切り替わったのか」について、一般には知られていないことを金沢講座で話すが、有料会員向けには既に歴史についても色々書いてきている。
そもそも、「世の中の情報は誰もが同じことを知ることなどできない」とあらかじめ知っておかねばならないだろう。
誰でも知ることができる話と、内輪に行かないと聞けない話がある。
そして、社会が変わる時に「最初から変わることを知っている人間」と「変わると聞いてから知る人間」がいる。それも知っておかねばならないだろう。
少なくとも、「変わることを先に知っていた人間」は、変わることを知らせる前に、自分は先に準備をしている。一番に助かるようになっている。
「変えよう」と決める人間が、一番先に知っている。
その人間が、「下々のことを考えているかどうか」が重要なのだ。
そして、現代社会では「変えよう」と決めた人たちが、「領民に嘘をつく」という真似をするようになった。
我々加賀藩民にとっては、あり得ない話である。
どこの藩かは知らないが、当たり前にそんなことをする藩もあったそうだ。
そしてこの物言いこそが、よそ者に「京都に似ている」と言わしめる加賀藩の県民性である。
前田のお殿様はそんな嘘をつかない。つくわけがない。
外に頭を下げても、内の家族を守る。それが我々が誇る加賀藩前田家である。
外で威張らなくても、家の中で優しいお父さんは子供たちに尊敬されているのである。なぜなら、お父さんは本当に強いからである。
本当に強い人は、優しさを持っているのである。
「ひもじいー」
と農民たちが集まって山から城に向かって叫び続けたら、その声が城まで届き翌日には米を農民たちに配った藩である。(卯辰山から金沢城の距離)
「自分たちが困っていると知ったら、きっとお殿様が助けてくれる」
この発想を、僕たちはもう改めなくてはならないのだ。
「知れば助けてくれる」=「知らないから助けてくれないんだ」
つまり「困っている人を助けるのは当たり前」の発想である。
「困っている連中は困って当然の輩だから、困らせておけばよい」
という考えの人たちがいることを、僕たちはいい加減知らねばならない。
僕たち加賀藩の人間は一大一家と同じであったが、それは心理的に健康な一家である。
一大一家が神経症家族であった藩もあるのだ。どこの藩かは知らないが。
幕末に、前田家でも幕府か新政府軍かでもめたことを踏まえ、僕たちはやはり代々続いた「家を守る父」の考え方を正しいものとしつつ、今後の在り方を考えねばならないだろう。
金持ちが偉い、という発想は日本のものではない。
金持ちは偉くない、地位があるから偉いわけでもない。
「侍が刀を差しているから偉いと思うな。一番偉いのはお百姓さんや。」
我々の根本は、この考え方である。
そしてそれだけは決して変わってはならない部分なのだ。
今の社会ならば、最も偉いのは国を支える労働者たちである。
最も弱い人たちに配られているかをよく見て、「飢えたる者」がないように弱い者たちの声を聞くべきなのである。
何よりも「最も強い人間は一番最後に残り物をもらう」ということができなくては、領民が安寧に暮らせる世の中などやってこないのだ。
加賀乞食という言葉がある。
僕たちは「困っていたら助けてもらえる」と当たり前に信じている。
それは正しいが、そうでない人たちが存在する枠に取り込まれてしまった以上、自らを守ることを考えねばならない。
と言っても、争いを起こすことを好まないのもまた僕たちの県民性である。
喧嘩をするよりは、傾いていた方がいい、盆正月をやっていた方がいい。
どこ吹く風で、偉くならなくても自分たちは楽しくやっていきたい。
しかし、困っていたら自分は助けてもらえると安心しきって人を助けていると、自分が困った時には助けてもらえない。そんな人々が増えてきたのもまた事実だ。
我々加賀藩民ではないのは間違いない。そんな根性は我々には無い。
そして、越中泥棒という言葉があるが、富山は前田の殿の兄弟から始まった藩であり、加賀藩と富山藩は親子同然である。
江戸時代も、互いに手を貸し合いやりくりしている。
今はバラバラに見えているが、元々家族なのだから、加賀乞食と越中泥棒は手を取り合い協力していくべきであると僕は考える。
それぞれの生き方により強い面と弱い面が異なっている。
力を合わせてこれからの社会を生きていくのが望ましいと僕は思うのだ。
なぜならば、元々そのような仕組みに前田家がしていたのだから、その流れに沿った何かが必ず残っているはずだからだ。
形には見えなくても、得意なこと、そうでないこと、それぞれが合わせるとうまく回るように、必ずできている。
未だに、感覚として石川富山、福井、と分かれているのを感じるが、福井は越前松平家の元に治められていた藩であり、間違いなく敵ではない。
僕たちは分断されてはならない。
僕たちは元々平和に生きていたのだから、争いに巻き込まれてこれまでの平和な生き方を捨ててはならないのだ。
僕たちは頂点を統一されたことで、今までと違う父親の元に生きているようなものである。
だが、僕たちはやはりかつて前田の殿がそうしてくださったように、家族を守り、地元を守る、抵抗し守るための戦いをして生きていくべきだと僕は考える。
守るべき者が誰なのか、なんなのか、そして自分はどこの誰なのか、忘れてしまっては元も子もないのだ。