うちの近くに慰霊碑があって知った、福田村事件について
映画にもなってました
映画 福田村事件
関東大震災の起きた直後の千葉県福田村
100人以上の自警団によって、香川から来た行商の薬売りの集団15人のうち、妊婦、幼児含む9人が殺害されたという事件です
この事件について、恐らく「左翼の陰謀!」と叫びたい人がいると思うんですよ
殺された要因の一つが、「讃岐弁が分からない千葉県民が朝鮮人だと思った」という、信じられない話だからです。
僕もよくわからないので、左翼を叩く愛国心のある、らしい、先生方の元で真面目に学んでみましたが、彼ら自身が洗脳されているなと思いました
見た訳でもない光景を、見てきたかのように(あの時天皇陛下と誰々がこんな会話をした、等)その時の言いぶりまで真似するのですが、そんなもの見た訳ないのですから、明らかに誰かの意図です
しかも、あっちもこっちもみんな同じことを言いますからね
当時子供だった彼らは一様に同じ教育を受け、見てもいないことを鵜呑みにして事実としてしまった
ということは明白です
ちなみに、うちには朝鮮人がいました
大きな家でしたので、下働きとしてうちにいました
当時朝鮮人がどのような扱いだったのかを調べ、恐らくうちの考え方ならば、他に行くあてがない状況だったのでうちに置いていたのだと思います
離れにある小さな小屋(と言っても、今の感覚ならそんなに小さくは無い)を与えられ、そこで暮らしていました
普通に家があるのと同じで、自分たちで自炊したりしながら生活し、うちで薪割りなどの作業をしていました
僕は、中国人にも友人がおり、中国や韓国の文化は好きなので、特別差別的感情は持っていません
以前、中国共産党については否定的な話をしていますが、それを教えている国際政治学者の先生に弱者が差別的扱いを受けていることについて批判的な意見を述べたところ、吊るしあげるようにボロクソに罵って来ました
この手の先生たち、皆さん、安倍元首相の桜を見る会に参加されていた方々で、先に述べた「見た訳ないやんごとなき方々のやり取り」を知っていて、そのような話をする時は陶酔してさめざめと泣いたりします
ボロクソに罵られたことを受けて、おや、おかしいな、と思いました
ちなみに、僕は天皇陛下と誰かのやり取りなど見た事ありませんので、なんとも言えません
今の世は戦国時代に似ています
戦わせたくてしょうがない人たちもいますが、そうでない人もいます
福田村事件の映画の中にこんなセリフがありました
「日本人にも悪い人はいる。」
どこの人かは関係ない、ということです。
何国民、とは、誰か?概念上の存在です。
目の前にいる人間を平気で攻撃する人は、完全に洗脳されています。
誰かに操られているだけです。
何も酷いことをしていない相手を、誰が憎むでしょうか。
また、概念上の存在と共に生きている人は、概念上の存在を信じて名前に騙されます。
何何だから、大丈夫。
何何が言うから、正しい。
こんなに操りやすいチンパンジーがいるでしょうか?
まあ人間なんてそんなものなんですよ、大半は。
福田村事件の映画でも、まともな思考の人達はいます。
ちょっと待てよ、まずは確認しようよ、日本人だったらどうするんだよ!
そこで、疑われていた香川県民が叫ぶのです。
「朝鮮人なら殺してもいいのか!」
これが正義の恐ろしいところなんですよ。いつの間にか人殺しも正義になるのです。
このような争いに巻き込まれないよう、気をつけねばなりません。
名前に乗っかって正義の自己陶酔の先には、「あいつ人殺しだ」の現実が待っています。
まずくなったら何かの影に隠れて、小さくなれば何も問題ない、というわけではありません。
散々自分がやった分、 後ろ暗くなりコソコソしなくてはなりません。自分が叩かれないように、大袈裟に反対であると誇示しながら。
最終的には、争いは争わない人達が終わらせます。
どんなに親から話だけ聞かされても、何もされていないのに偏見だけで人殺しも迫害も出来ない。そんな人達が味方にも敵にも必ずいます。
僕も日頃から個人を迫害しないので、〇〇人に加担する裏切り者だ!なんて知らない人に攻撃されることがあります。
恐ろしいことをする日本人もいるのです。
「中国人を庇ったから、あいつも日本の敵だ!」
意味がわからないですが、内面的に未熟であるほどそのようにパニック状態に陥ります。
この手の人達は、敵とした対象を罵れば罵るほど、迫害すれば迫害するほど、愛のある人達だと思うのです。
自分のことを大事にする人ではなく、自分の敵を攻撃する人が自分を愛する人だという考え方です。
そんな人達がいるのに、朝鮮人、中国人、と蔑むことは出来ません。
まあ、やりたい人は頼まれなくてもやりますが、僕はやりません。
しかし、福田村事件はまさにそのような流言飛語に踊らされる人々が、「お国のため!」とパニックになりながら起こしたような事件です。
「讃岐弁がわからないから、朝鮮人だと思った。」
これが無知の恐ろしさです。
僕は元々、親に愛されない悪の生まれです。
ですから、どんなに望ましくない人も致し方ない理由があると考え、「何をしていないから、悪者だ!」と簡単に決めつけて迫害はしません。
そんな雑な生き方でいいなら、バカのまま偉くなれる楽な世の中になりますよ。
皆さんも、自分は普段から何もされていない誰かを、概念上の何かを、バカにして迫害して、喜んでいないか、今一度振り返り確認してください。
みんなもやってるから。なんとなくやっちゃった。
そんな理由で、人を迫害し殺すことの無いように。
思いのほか多くの方が、知りもしない何かをバカにして当たり前のように優越感を感じていますから、みんなもやっていても自分もやっていないか、よく考えてみてください
気づくことがあれば、いじめはやめることです
知られなくても直接何かしなくても、人を貶めて喜んでいる人間になっていることには変わりないのですから
人を貶める時、自分も必ず貶めています
誰かをバカにして喜ぶことの無いよう
映画にもなってました
映画 福田村事件
関東大震災の起きた直後の千葉県福田村
100人以上の自警団によって、香川から来た行商の薬売りの集団15人のうち、妊婦、幼児含む9人が殺害されたという事件です
この事件について、恐らく「左翼の陰謀!」と叫びたい人がいると思うんですよ
殺された要因の一つが、「讃岐弁が分からない千葉県民が朝鮮人だと思った」という、信じられない話だからです。
僕もよくわからないので、左翼を叩く愛国心のある、らしい、先生方の元で真面目に学んでみましたが、彼ら自身が洗脳されているなと思いました
見た訳でもない光景を、見てきたかのように(あの時天皇陛下と誰々がこんな会話をした、等)その時の言いぶりまで真似するのですが、そんなもの見た訳ないのですから、明らかに誰かの意図です
しかも、あっちもこっちもみんな同じことを言いますからね
当時子供だった彼らは一様に同じ教育を受け、見てもいないことを鵜呑みにして事実としてしまった
ということは明白です
ちなみに、うちには朝鮮人がいました
大きな家でしたので、下働きとしてうちにいました
当時朝鮮人がどのような扱いだったのかを調べ、恐らくうちの考え方ならば、他に行くあてがない状況だったのでうちに置いていたのだと思います
離れにある小さな小屋(と言っても、今の感覚ならそんなに小さくは無い)を与えられ、そこで暮らしていました
普通に家があるのと同じで、自分たちで自炊したりしながら生活し、うちで薪割りなどの作業をしていました
僕は、中国人にも友人がおり、中国や韓国の文化は好きなので、特別差別的感情は持っていません
以前、中国共産党については否定的な話をしていますが、それを教えている国際政治学者の先生に弱者が差別的扱いを受けていることについて批判的な意見を述べたところ、吊るしあげるようにボロクソに罵って来ました
この手の先生たち、皆さん、安倍元首相の桜を見る会に参加されていた方々で、先に述べた「見た訳ないやんごとなき方々のやり取り」を知っていて、そのような話をする時は陶酔してさめざめと泣いたりします
ボロクソに罵られたことを受けて、おや、おかしいな、と思いました
ちなみに、僕は天皇陛下と誰かのやり取りなど見た事ありませんので、なんとも言えません
今の世は戦国時代に似ています
戦わせたくてしょうがない人たちもいますが、そうでない人もいます
福田村事件の映画の中にこんなセリフがありました
「日本人にも悪い人はいる。」
どこの人かは関係ない、ということです。
何国民、とは、誰か?概念上の存在です。
目の前にいる人間を平気で攻撃する人は、完全に洗脳されています。
誰かに操られているだけです。
何も酷いことをしていない相手を、誰が憎むでしょうか。
また、概念上の存在と共に生きている人は、概念上の存在を信じて名前に騙されます。
何何だから、大丈夫。
何何が言うから、正しい。
こんなに操りやすいチンパンジーがいるでしょうか?
まあ人間なんてそんなものなんですよ、大半は。
福田村事件の映画でも、まともな思考の人達はいます。
ちょっと待てよ、まずは確認しようよ、日本人だったらどうするんだよ!
そこで、疑われていた香川県民が叫ぶのです。
「朝鮮人なら殺してもいいのか!」
これが正義の恐ろしいところなんですよ。いつの間にか人殺しも正義になるのです。
このような争いに巻き込まれないよう、気をつけねばなりません。
名前に乗っかって正義の自己陶酔の先には、「あいつ人殺しだ」の現実が待っています。
まずくなったら何かの影に隠れて、小さくなれば何も問題ない、というわけではありません。
散々自分がやった分、 後ろ暗くなりコソコソしなくてはなりません。自分が叩かれないように、大袈裟に反対であると誇示しながら。
最終的には、争いは争わない人達が終わらせます。
どんなに親から話だけ聞かされても、何もされていないのに偏見だけで人殺しも迫害も出来ない。そんな人達が味方にも敵にも必ずいます。
僕も日頃から個人を迫害しないので、〇〇人に加担する裏切り者だ!なんて知らない人に攻撃されることがあります。
恐ろしいことをする日本人もいるのです。
「中国人を庇ったから、あいつも日本の敵だ!」
意味がわからないですが、内面的に未熟であるほどそのようにパニック状態に陥ります。
この手の人達は、敵とした対象を罵れば罵るほど、迫害すれば迫害するほど、愛のある人達だと思うのです。
自分のことを大事にする人ではなく、自分の敵を攻撃する人が自分を愛する人だという考え方です。
そんな人達がいるのに、朝鮮人、中国人、と蔑むことは出来ません。
まあ、やりたい人は頼まれなくてもやりますが、僕はやりません。
しかし、福田村事件はまさにそのような流言飛語に踊らされる人々が、「お国のため!」とパニックになりながら起こしたような事件です。
「讃岐弁がわからないから、朝鮮人だと思った。」
これが無知の恐ろしさです。
僕は元々、親に愛されない悪の生まれです。
ですから、どんなに望ましくない人も致し方ない理由があると考え、「何をしていないから、悪者だ!」と簡単に決めつけて迫害はしません。
そんな雑な生き方でいいなら、バカのまま偉くなれる楽な世の中になりますよ。
皆さんも、自分は普段から何もされていない誰かを、概念上の何かを、バカにして迫害して、喜んでいないか、今一度振り返り確認してください。
みんなもやってるから。なんとなくやっちゃった。
そんな理由で、人を迫害し殺すことの無いように。
思いのほか多くの方が、知りもしない何かをバカにして当たり前のように優越感を感じていますから、みんなもやっていても自分もやっていないか、よく考えてみてください
気づくことがあれば、いじめはやめることです
知られなくても直接何かしなくても、人を貶めて喜んでいる人間になっていることには変わりないのですから
人を貶める時、自分も必ず貶めています
誰かをバカにして喜ぶことの無いよう